GO OUT 2014.10

PLAYDESIGN
遊びの中で生まれたプロダクト。

2001年にブランド設立となった関西発のプレイデザイン(P01)。
「NO PLAY NO LIFE」をスローガンとし、真面目に遊び楽しむことをモットーに、
自分たちの好きなものだけを作り多くのファンを魅了し続けてきた。
一見、ユルくも見えるモノづくり。
真相はいかなるものか。

世の中の反骨から生まれたプレイデザイン(P01)。

「1999~2000年頃にかけて世紀の変わり目であるにもかかわらず、世の中がダウンしていた時代に、僕らは動き出したんです。もっと遊びもファッションも楽しめるブランドを作りたかったというのが、ブランド設立のきっかけでした」。
 「NO PLAY NO LIFE」というブランドテーマを掲げ、始動しはじめたのは、いまから13年前の2001年。インテリアデザイン学科を専攻していた代表の川井龍二氏によって設立された。彼は学生時代、インテリアデザイン事務所の社長のツテで、当時フリースタイルのスノーボードウエアブランドのなかで一番歴史のあった日本ブランド、ハイパーイリュージョンデザイン、現H.I.Dに入社後、約7年間在籍し、モノづくりのイロハを教えてもらったという。「僕が会社に入った時、給料要らないから働かせてくれと言ったんです。それが功を奏したのか入社することができ、そこで、数年間のうちに認めてもらった感じです。プレイデザイン(P01)というブランド名は、2001年に決めました」。
 19歳でスノーボードを始め、徐々にハマって行くなかで、遊びの大切さを知ったという川井氏。プレイデザインとして初めて作ったプロダクトは、Tシャツ、パーカ、スノージャケット。
 「実は、学生のころから、自作でTシャツを作ったりしては、知り合いのショップに置かせてもらったりしていたので、モノづくりをすること、ブランドを作ることは、少なからず頭の中に描いていたのかもしれません。まさか、スノーボードウエアをとまでは考えていなかったのですが……」。
 川井氏がスノーボードを始めたころ、もちろんいろいろなブランドのウエアを身に着け、袖を通すなかで、もっと改良したほうがイイ、とか、こんなデザインが在ったらイイ。というようなことを、思っていたのだろう。それこそが遊びの中から生まれるモノづくりの始まりだった。
 「自分でプレイデザインを手掛ける前は、もちろん、いろいろなブランドのウエアを着ていました。むしろファッションに楽しさを憶える年代ですから。そこで感じたこと、学んだことはたくさんありますし、反面教師とすべき点、逆に、僕らのプロダクトの参考にもなっていることもあると、いまでは思っています」。
 プレイデザインが手掛けるウエアは、程よく、ユルいアイテムが多い。結局のところ、毎日、着られる服が一番のデイリーウエア、その人のお気に入りとなることを川井氏は悟っているのだ。
 「モノづくりは、やり過ぎると自分たちの首を絞めることになると思っています。いろいろな面で矛盾してしまうことも多々出てきますから。僕らのモノづくりは、日本のモノであるとか、素材など多少意識はしていますが、極論、どこで作っても、どんな素材を使っても、僕は良いと思っています。イマドキのブランドのように、こだわることにこだわる作り方はプレイデザイン的ではありません。ただし、ロースペックであり過ぎたり、両極端でなければ良いんじゃないでしょうか。価格帯も同じ。ちょうど良い塩梅でバランスを補っていることが重要だと思っています。ファッションとして楽しむことも重要ですが、僕らとしては、遊びを楽しんで欲しい。あくまでも遊びを中心として生まれた服なのだから。そのために、僕らも楽しみながら、ウエアの企画をしているんです。無論、僕らが欲しいと思わないモノは絶対に作ることはありません」。
 たしかに、いまのファッションでは、オーバースペックが良しとされている感はある。しかし、そのような局面に接することがどれほどあるだろうか。その分だけ掛かったコストをプライスから差し引くことで、もっと良いモノになるのではないだろうかと思うこともある。またその逆も然り。ヴィンテージデニムとそっくりにリプロダクト。旧いモノ、ローテクな作りが良いという考え。この時点で、すでに矛盾は生じているはずだ。プレイデザイン的には、ただどちらでもよくて、日常生活を送るにあたり、またスポーツをするにあたり、支障をきたさない程度であれば良いという考えなのだ。

14年経過した現在、ブランドとしての行く末。

 「ブランド設立10年目に僕らがやってきたことを振り返ることができました。これまで10年間やってきたことを、今後10年、15年続けているようではいけないという想いから、思い切ってブランドロゴのデザインを変えることにしたんです。それまでは、「P」の文字が四方に重なっている風車のようなデザインだったのが、現歯車のようなロゴデザインに。4枚の風車が回り出し、12本の歯車に変わった。10年目にして、ようやく風車がフル回転し始めたというようなイメージです。しかも、12方向、いつの時間でも「NO PLAY NO LIFE」を忘れないようにという意味も込めているんです」。ブランドロゴに意味が込められているのは想像はついたが、これほどまでに深い意味が込められていることは興味深いコトだ。プレイデザインの〝遊び〝というものが、ウエア作りにおいてもポジティブなものであることが理解できた瞬間だった。
 「19歳のころからスノーボードを始め、いまは遊びとしてスノーボードを好きでいますが、僕は最後のアクションスポーツだと思っています。サーフィン、スケートボード。どれも、時代によって色濃いカルチャーを残してきました。そのなかで一番ファッション性が高い遊びなのだと思っています。ボードだけでなく着るウエア、使用するギア。これほどまでに都会的なスポーツはありません。だからこそ、まだまだ、普及の余地はあると思っています」。
 歴史を振り返るとカルチャーを生んできたスポーツは、往々にして都会人から派生している。感度の高い人間がカルチャーを作り出すのは、当然なことなのかもしれない。川井氏は単に遊びを満喫しているわけではなく、遊びを真面目にしている。もちろん、きっかけはもっと軽いものだったのかもしれない。しかし、時の経過とともに、楽しむことを本気で考えるようになった。ひとつのことをやり続ける。同じものを作り続けるという川井氏の強い決意がプレイデザインのプロダクトに表れている。
「プレイデザインが提案するウエアやグッズは、いまを生きる時代のなかで自分たち、そして仲間たちが感じたものをカタチにすること。仲間たちと時間を共有し、遊びを楽しむことの素晴らしさ、そのなかで着慣れた、使い慣れた道具になれば良いと思っています。これからも、いままでと同じく自分たちの興味が湧かないモノやコトをやるつもりはありません。そして、これから10年先、15年先、100年先まで続くブランドとなっていくことができれば、僕らのしてきたことは間違ってなかったと言えると思います。少なくとも、遊びを楽しむという思想は残ってほしいですね」。
 プレイデザインの良い塩梅で気の抜いたウエアたちとは裏腹に、川井氏の熱い思いが伝わってくる。はじめは〝遊び〝を楽しむためのプロダクトという響きに真相が見えず、戸惑いを隠せなかったが、〝遊び〝を提唱するその先が見え、川井氏の意図が理解できた気がする。
 いよいよ来年2015年でブランド設立15年目を迎えることとなるプレイデザイン。真面目に遊ぶという骨子の部分は、変わることはなくても、なにかしらブランドとして前進していかなければいけない。あらたな壁にぶち当たる可能性も無きにしも非ずだ。「モノづくりにもっと厚みを付けていこうかと思っています。それは、いまの要素が、ダメと言っているわけではなく、ブランドの歴史として、地に足を付ける感じなのか、もっと大人の要素も入れていくつもりです。そして、いずれは大阪から世界へ飛び立つことができればと思っています。スノーボードウエアは他のジャンルに比べ、まだまだ未来があるはずです。世界的に注目されても恥ずかしくないようなプロダクトへと成長させていきたいですね」。
 年齢は必ず重ねていくもの。大人も認めるウエア作りを目指す必要も考えているのだという。とはいえ、そこもバランス。いつだって、ミドルの立ち位置が良いバランスだと考える川井氏にとって、大人のウエアの印象はどのようなモノなのか。プレイデザイン的大人のウエア。今後もブランドの動きから目が離せない。

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